夜空の鳥の日記

時にそこはかとなく、時につらつらと

心を隠す

人は平和を望んでいても、心のどこかで「人に勝ちたい、自分の方が優位に立ちたい」という気持ちが動いているといいます。だから、人に対しておとなしく従っていられない。対立する方向にもっていってしまうのだと。そして「はい」か「いいえ」、どちらの返事を伝えようと諍いになるのなら、ちょっと口を濁すような感じで、なあなあに対応するのが一番角が立たないのだとか。

私は、自分の心を安静に保つことを何よりも優先してきました。平穏に暮らしたいからです。でも、ずっとそのつもりでいたにもかかわらず、「あいつをギャフンと言わせたい」とか「いつか必ず頭下げさせてやる」とか、やはり考えているんです。考えているけど、いつも妄想で終わる。もし現実で本当に諍いになったら、私は絶対勝てっこないって分かっているから。

無駄な争いはしたくない→本当は勝ちたい→でも負けるに決まってる→だから無駄な争いはしない…

この考えは無限ループで、どこにも辿り着けないうえに、偽りばかりに支配されています。

①平和に暮らすため、本当の表情は誤解を招きやすいから見せない。

②争いを避けるため、人に勝ちたいという本音をしまい込む。

③時として顔を出してくるのを止められない対抗心ゆえに生じる争いを終わらせるため、ここでも本心を隠して、適当に折り合いをつける。

人は一人では生きていけない、「人との間に生きる」生き物だというのに、人と一緒にいては、本当の心を全てなんてさらけ出せないのです。隠し事だらけ。しかし、人が本心を隠すのは、相手も自分も誰一人傷つけないための選択でもあるといえます。良心が痛むような選択はしないのだと。それはきっと、他人に対しても自分自身に対しても、わずかでも思いやる心があるからではないでしょうか。