夜空の鳥の日記

時にそこはかとなく、時につらつらと

董白はなぜ許せるのか

董白とは、真・三國無双8というゲームに登場する女の子のことです。

董卓の孫で、非常に愛らしい顔立ちをしていますが、性格はわがままで残酷。人に対し「生意気」という言葉を多く使用しますが、誰よりも生意気なのは彼女自身ではないか、そんな気がしなくもありません。実際、彼女の言動、行動は目に余るものがあるかも知れません。常に上から目線で、誰に対しても歯に衣着せぬうえ、追加DLCの董白シナリオはトンデモな展開でした。(このゲームは大勢の敵を一度にまとめてなぎ倒すことに爽快感を得られるのが特徴なので、ストーリーなんて二の次なのかも知れませんが)

あくまで私の意見ですが、正直、このシリーズにおいて振る舞いが目に余るのは、董白に限った話ではありません。見ていておもしろくない気分にさせられるキャラクターは、一人や二人どころではなかったからです。そのようなキャラクター達は顔を見るのも嫌になってしまい、真・三國無双8Empiresは無双武将抜きの汎用武将とエディットしか登場させないシナリオしか遊ばなくなりました。(モブ無双は快適でめちゃくちゃ楽しかった、それはまた別の話)しかし、董白だけは見ていても腹が立つこともなく、むしろ彼女が何をしようとも許せてしまったのです。なぜでしょうか。

董白を許せる理由として考えるのは、「良くも悪くも裏表がない」こと。董白は相手が誰であろうと言いたいことをハッキリと言い、いい子ちゃんぶったところも、媚びた姿勢もない。生意気な態度がかえって気持ちいいくらいに見えます。

私は董白のことを考える時に、どうしても貂蝉と比較してしまうのですが、それは董白の貂蝉に対する敵愾心の強さ、あと私が個人的に「貂蝉は離間の計を仕掛ける立場とはいえ、本心が全く見えなくて怖い」と思っていることが原因でしょう。

董白を見ていて気持ちいいと感じるのは、「思わず真似したくなるような言い回し」からも来ていると考えます。言い方は少々キツいところも見受けられますが、彼女は言いたいことをハッキリと言います。畏れを知らず堂々としている姿には、憧れに近いものを禁じ得ません。真似したくなるのは、私も彼女のように振る舞えたらいいのにと望んでいるからではないでしょうか。

以前ここの日記で、真・三國無双呂布にイライラしたと書いたことがあります。呂布の自分勝手な行動が、私を退職させた上司にそっくりだったからと。その呂布に対する董白の振る舞いに、知らず知らず私自身を重ねていたのかも知れません。だから「一人の女の子が最強の鬼神に復讐、そして本当に完膚無きまでに負かす」なんて荒唐無稽な展開も、見ていて良い気分になっていたのだと思います。

そう、良い気分。董白は私を良い気分にさせるのです。それは、好きなキャラクターを見ることや好きなキャラクターと一緒にいること、好きなキャラクターが喋ってくれることなどに思わず笑みがこぼれるのとは違う感覚です。董白のことは好きですが、三國無双で董白が一番好き! というわけでもなく、恋をするのとも異なる感覚です。

この感覚は何なのか。はたしてこれが董白を許せる理由なのか。

董白は出会うものを次々と叩きのめし、退かせたり手下に加えたりします。そして最後には、彼女に屈辱を与えておきながら彼女を歯牙にもかけなかった者達を屈服させ、跪かせます。その中には彼女の祖父の仇や、彼女から離れてあろうことかその仇の下についたかつての側仕えの者など、憎くてたまらなかった相手もいます。

それはまさに、他でもないこの私が、心の中でひそかに思い描いていた光景そのものでした。

今まで私にひどいことをした人達に後悔させてやりたい、頭下げさせてやりたいと。

董白は、私の願望を体現していたのです。それも、決して叶いっこない願望を。

なぜ董白は許せるのか。いいえ、許せるどころの話じゃなかったんです。

董白の存在自体が、私のカタルシスだったのです。

董白。(イラスト:私)