夜空の鳥の日記

時にそこはかとなく、時につらつらと

世は変わる

先日、ある歌を聞いたら、凄くもやもやとしてしまいました。歌詞の一部に「答えれる」と書かれていたからです。いわゆる『ら抜き言葉』。そこの部分がどうしても引っかかって、その歌に集中して耳を傾けることも難しくなるくらい。

正直に言って、私はら抜き言葉が嫌いです。ですが、もしかしたら、これはもう現代の日本人に定着しつつあるのかも知れません。たとえ間違った言葉遣いでも、あまりに多くの人が疑問を感じることなく使い続けたため、誤った方が通用してしまったり、新たな表現の仕方が生まれたり…そんな前例はいくつもありましたから。

この歌に関しても、制作過程で誰一人としておかしいとも誤りだとも指摘する者がいなかった、といっていいでしょうね。なぜなら、そのまま一つの作品として完成されて、世に送り出してしまえるくらいなのだから。たとえ異論を唱える人がいたとしても、それは採用されるような意見ではなかったということです。

もう、ら抜き言葉にいちいち目くじらを立てる時代ではないのでしょうね。私も古い考え方にいつまでもしがみつかず、これを現代の日本語として受け入れる姿勢を作るべきなんですね。とはいえ、自分では進んで使う気はありません。そういう表現を見たり聞いたりしても、わざわざつっかからないようにするだけです。

「今はこういう表現もあるのだ」と。