夜空の鳥の日記

時にそこはかとなく、時につらつらと

忘却と想起

文章を書くようになってから、漢字が書けなくなっていることに気づく。今これを書いている最中も辞書が手放せない。これは一大事。漢字は好きだし得意なつもりだったけれど、自分がそう思い込んでいただけだったのかも知れない。

人生の出来事も、一部の記憶は鮮明に残っているのに(トイレの限界とか)、あとはきれいさっぱり忘れている。忘れちゃいけないことを忘れて、忘れてもいいことをいつまでも覚えていて根に持っている。

思い出を全て覚えておくことが出来ないのなら、記憶は消えていくものだというのなら、どうして嫌な記憶を忘れてしまえないのだろう。おびただしい憎しみや悔恨で支配されている心を解放したいのに、それは許されないのだろうか。