夜空の鳥の日記

時にそこはかとなく、時につらつらと

感想を書く〜『アリーテ姫』〜

アニメ映画『アリーテ姫』を見ました。

世界は素晴らしい物や役に立つ物で溢れている。美しい絵や宝石、武器、建物や乗り物…そして魔法。そういう知識や知恵がどこから来たにせよ、それらを作り出して来たのは人間。だから、人間には計り知れない可能性があるはずだ。

アリーテ姫は外の世界に強く興味を持っていますが、この姫の特筆すべき点は、単なるおてんばでも、ただ好奇心旺盛なだけではないというところ。

そして、自分だけではなく全ての人の可能性を信じていること。

その無限の可能性を信じて、姫は外に飛び出そうとするのです。

姫を愚にもつかない存在に変えようとした男が登場します。その男が自暴自棄になった時、姫は彼に対してさえ、「どうして自分を貶めるの」などと言ったかと記憶しています。姫は彼の可能性すらも信じていたのかも知れません。

それと個人的に好きなのが、求婚者達が「姫とはこうあるべもの」とあれこれ並べ立てる場面。その中で、姫の実際の姿を目にして「あっ…」という表情をします。しまった! とも落胆ともとれる表情。

この瞬間は、彼らの先入観にまみれた姫の理想像を崩れさせたことでしょう。

「姫の姿はこうに違いない」「姫の生き様がこうじゃないなんて、あり得ない」

と一括りにされていることに、アリーテ姫もうんざりしていたのではないでしょうか。

この映画は、そもそも挿入歌が聴きたくて見たのですが(オリガの『クラスノ・ソンツェ』)、込められたメッセージが思いの外大きく、広く、そして深かった。

計り知れない可能性、それはこの私にもあるのだろうかと。アリーテ姫は、私の可能性も信じてくれるだろうかと。