もしかして、「私、いらなくない?」と感じずにはいられないくらいの無関心放置プレイをされるのが一番いいのか? と思ってしまいました。なぜなら、放置されるということは、私は相手に忘れられている、あるいはそれほど興味が無いと思われているからで、一緒の空間にいても忘れるくらいの人や興味の湧かない人にあれこれと質問してくることはまず無いだろうと考えていいからです。何度も言うようですが、私は自分のことを穿鑿されるのがつくづく嫌になってしまいました。人の良さそうな笑顔で根掘り葉掘り質問されるより(こうなってはもはや詰問の域)、あからさまに冷めた目で初めから関心を持たれない方がずっといいです。昔はほったらかしにされるたびに憤ろしかったのに、今となっては逆にそれが私にとって最も都合の良い扱われ方だなんて、どうして予測できたでしょうか。
煮物を作る時も、鍋の中の具材をがちゃがちゃかき回すと煮崩れを起こしたりして良いものになりません。鍋の中でほったらかしにしておく方が、形も崩れず味もしみ込んでよりおいしく美しく仕上がります。体にできる傷や吹き出物も、みだりに触らない方が治りも早まります。それらと似たようなもので、適度に放っておかれるのも時には必要、ということなのかも知れません。