夜空の鳥の日記

時にそこはかとなく、しばしばつらつら、たまに絵も描く

面倒を避けるため、どんなに不愉快なことを言われたりされたりしても、笑みを絶やすことだけはしませんでした。

 しかし最近は、愛想笑いを浮かべることすら出来なくなりました。不快に感じたら最後、その時抱え込んだ負の感情が全て顔に出るようになってしまったのです。もともと感情が顔や態度に表れやすい性格ではありましたが、もはやフォローのしようがないくらい顕著になってしまいました。

 以前この日記にも書いたように、正直、私のこのような態度は非常に大人げないと自分でも強く思います。なぜなら、人前であからさまにつまらなそうな顔をしていても、たいていの人は何とも思わないし、気にもとめていないからです。まして様子をうかがって自らの振る舞いを改めるなどということは決してありません。むしろ不機嫌な人に同調して自分まで不機嫌になるのは、賢い人間ならばしない選択です。賢者は攻撃的な相手と同じ土俵には立たないからです。つまり、おもしろくない気持ちを明らかに隠そうとしない、と言うより隠すことも出来ない私は、誰にとっても取るに足りない、歯牙にもかけない存在なのです。それもそのはず、小さな子どもではないのですから、自分の機嫌は自分でとりなさいという話です。

 そもそも私が不機嫌になるのは、その時行動を共にしている人達が私の時間や食事の自由を奪ったり、知りたくもない胸が悪くなるような話や心を土足で踏みにじるような話をしてくることが原因なのだけれど、その人達が私がどれほど嫌そうにしていても一顧だにしないのは、彼らにとって私の一喜一憂はいちいち気にかける価値もないということです。とは言え、他人は自分の思い通りにはならないので、察しろとも言えません。いっそ、人の気持ちを感じ取ってもそんなものは切り捨ててしまう方が、そもそも人の気持ちなど考えない方が、かえって生きやすくなるのでしょうか。